2017-10-29

ワカラナイ、をコトバにしてみる-ウラ指導学科検証会後の懇親会にて

台風です、また雨~
よく降りますね・・・
被害が出ないことを祈ります・・・

さて。
昨日と今日、東京で開催のウラ指導の学科検証会がありまして。
懇親会、顔出してきました。
(土曜朝からもろもろやるとどうしても到着が夕方)

京都からたまたま上京中の、製図結果待ちのウラッ子ついった仲間な方に、急遽お声がけして参加していただいちゃいました。笑
せっかくのタイミングですし、学科合格できたコツ、聞かない手はないでしょう!





ズバリ。
昨日、懇親会で話題になったこと。

1 国語のチカラ

そもそも問題文の意味がつかめないから、正解へたどりつけない。
こんなところでしょうか。

まず、「自分がどこがわからないか」というのを言語化するのが大事と。
そこを放置してたら、絶対に点数は上がってかない。
京都っこが熱弁されてました。笑

停滞中の東京ちーむ・・・
うなる・・・


2 理解のスタート地点

結局、よく言われる「どこがわからないか、がわかるようになれば、もう解決したようなもの」というのは真理なんだなーと。
自分では、「自分がココがわかっていない」ということに気づけない。
それって、たぶん他者を介してでないと、永久に気づけないのではと思うくらい・・・。


例えばですよ。
思考回路が、「AはBっていうのが正しい」と思っている人は、ずっとそのまま。
それ以上には、広がらない。
まさか、その考え方は間違えているとは思いもよらない。

だって。
ホントは「AはC」なのに、「AはB」と思いこんでいたら気付かないですよね。
誰からか指摘されるか、間違えるかなにかしないと。


だから、
実は、アタマの中は「ジブンがワカラナイコトって、ジブンでは認識できない構造になってる」ってことを知ることが、まずモノゴトを理解するスタート地点であるのかなと。


3 記憶力には限界がある

えッ
じゃあ、どうすりゃいいの?
ジブンじゃ認識できないんだから、努力したって理解できないじゃん。
むりくない?
ってなりますよね。

もしくは、
ワカラナイってことがジブンで認識できないものなんだったら、
ダッテ、ワカンナインダモーンって開き直る?笑
(過去のワタシ)


冗談はともかく。
認知できないワカラナイコト、が多ければ多いほど、繰り返しやろうが、猛勉強しようが、同じ位置でぐるぐる回るだけ。
ミミタコな、いつものアレです。笑


どんだけ記憶勝負!とやったって、努力がムダに終わる。
というか、それは努力のうちに入らない。

たくさん記憶することって、努力のうちに入らないんですよ。
その記憶力には限界があるから。
記憶力で点数とれる量は決まっていて、そこでストップしてしまうし。
記憶した量以上には、点数は絶対に上がることはないですし。

というのが、京都っこの熱弁の内容でした。
感心しきりです。

4 いつもスルーしてたアノ問題

じゃあ、
具体的に?
どうすれば?

わからない。
毎回間違える。

重要なのは、こういった「いつもスルーしてたアノ問題」を丁寧にさらうこと。

そういった問題を、まずとにかく書き出してみる
問題文と解答文コピペでもいい。

なんか、アノ問題、いつも間違うんだよねーって。
あと数点に毎年泣いてる方は、特に。

なんでだろ?
なんでいつも間違うんだろ?
って思いませんか?

そうゆうのを、まず、とにかく、書き出してみる。

そして、それをとにかくメールなり、質問してみる。
なぜか、この問題、いつも間違えてしまうんです、と。

なんで間違えるかわからない。
無意識に間違えてる。
この思考回路、どこがダメなんでしょう?と。


5 放置すると永久にわかり得ない

今、
わからないから勉強しているんであって、ここでコケたままだと永久にわからないまま、なんですよ。
ぼーっとしててわかるようになったら、ダレも苦労しない。
急にできるようになったら、ダレも苦労しない。


今、受験している一級建築士の試験。
たかが試験問題でしょうか?

答えは、はっきりと、ノー!

いずれ実務でも支障するでしょう。
だって、ワカラナイまま、マチガエタまま、なんですもの。

こんなの、役所の窓口に行ったって、こまごま教えてくれません。
私自身、勉強していて怖いな、と思いました。

苦手だから、ちょっと敬遠・・・
難しいから、試験だし、とりあえず他で得点すればいいし。
やらなくていいよね?
ね?

そのまま、一級建築士になりますか?
一級建築士になってから、突然わかるようになりますか?
ということ。


6 イキナリワカル!ようには、ならない

書き出してみる。
とりあえず、質問してみる。
 ↓
返事くる。

先生から戻ってくる返事で解決すればいいけど、一発で疑問点が解決しない
返事きたけど、解説一読したくらいじゃ、なんだかよくわからん。
えー
なんか、そうなんだー

で終わる・・・!?

いやいやいやいや。
ここで放置したら、質問した意味がない。

とにかく、喰いつけ!
「それは、これこれこうゆうことですか?」
もう一度、確認のために、ジブンのコトバで、先生からの回答をオウム返しする。


一度でわかろうとしない。
諦めない。
 ↓
同じ問題文に対して、なんだけど、どうやったら「自分のわからないポイントが伝わるか」を考えてみる。
追加で質問する。
 ↓
わかるまで繰り返す。
アレ?
こうゆうことかな?って。

だんだん「こう書いたら、自分の疑問点が伝わるかな?」と、文章に工夫しだす。
 ↓
そうすると、少しずつ「質問すること(文章を使って自分を表現する)」に慣れてくる。

もちろん、先生の回答をよく読み込んで、それでもやっぱりわからない、ってことがたくさんある。
そしたら、また少しずつ質問すればいい。

このやりとりが大事、と。
ここに、受け身でない「勉強する」「理解する」「疑問を解決する」ということの「一つの解決法」があるのだなと。

昨日、熱弁されてる京都っこの姿を見て、私も改めて思いました。


7 ワカラナイ、をコトバにしてみる

コレ、ほんと結論。

わからない、がつづくと、やる気がなくなる。
 ↓
ますますわからない。

この悪循環を、今年はそのままにしない。


どうしてもだめ。
この問題、解説読んでも「宇宙語」。
たくさんあると思う。

そんな問題、まずコピペして、理解する手立てはどうしたらいいか、を質問してみてください。
あなたの中で、何かがきっと変わるはず。

ブログを書くメリットについては、つづきます

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